シラフで世の中眺めたら

何よりお酒が好きなのに、妊娠のため禁酒となりました

渚と澪と舵-桐島洋子

桐島かれんさんが、葉山での暮らしをインスタグラムで残しておられる。調度品やお料理のハイセンスな事といったら海外の貴族のようで、どんな環境で育てばそうなるのか、かれんさんのお母様が書かれた本を読んでみたくなった。 

お母様の洋子さんが3人の子どもを授かった時期のことを、青春の総決算として1冊の本にされている。

洋子さんの文章は文学的でありながら自己愛のナヨナヨしさはかけらもなく、かつ1行の無駄もなくユーモアがあり、自立した女性にしか書けない素晴らしい文章だった。

 

洋子さんは、すでに妻のいるアメリカ退役軍人と激しい恋におちて長女のかれんさんを妊娠する。当時、洋子さんは出版社でバリバリ働いていたけど女性は結婚と同時に退職するという会社規定がある時代、独身で子どもを産むことなど公にできるものではなかった。

そこでゆったりとした服装で出勤して会社には妊娠を隠し、妊娠8ヶ月からは腎臓病といつわって長期休暇をとる。産後1週間でかれんさんを信頼できるシッターさんに預けて職場復帰。お相手の彼とは法律的に所帯を持つ事はないが、翌年第2子を妊娠。

さすがに2年続けて病欠は使えないので、長期で海外旅行に行かせてくださいと会社に頼む。ライターには世界を見ておく事が大事だからと。

会社は、多忙を理由に休暇を認めず、洋子さんは仕方なく退職することになった。

だが、海外には行く事にした。妊娠8ヶ月!ひとりで!船やらなんやらでロシアまで行って、そこから汽車とかいろいろでヨーロッパを横断しフランスまで。フランスから日本へ向かう船の上、クリスマスの日にノエルさんを出産、、、!船の上で産めば医療費はタダだから、無職にはありがたいという計画を本当に実行してしまう。

 

ノエルさんも預けて、生物学上の父親と一緒に海運業やベトナム戦争の従軍ライターとして生計をたてる。モタモタしてるうちに2人の父親とは結婚しないまま愛想がつきてしまったが、第3子を妊娠、ローランドさんを出産。ローランドさんも産後間もなく病院に預ける。

 

女性は結婚と同時に退職規定があるような日本の風習では、とても3人の子どもを養えないと思った洋子さんは、かれんさんのみ連れてアメリカへ。何のコネもないままアメリカで社交を広げ、仕事を探し、預けている子どもたちの養育費を送金し、何年か後にはやっと子どもたちみんなをアメリカへ呼び寄せ、一緒に暮らせるようになった。

 

産まれたばかりの子どもを預けるなんてとか、法律上父親がいないままなんてとか、たくさん批判もあったかもしれない。けど今後の見通しもなく、生き方の先例もない孤独のなか、押しつぶされそうな不安で朝を迎えていたであろう洋子さんの気持ちに思いを馳せる。私もこれから何があっても、子どもの成長を見守らなければいけない。願わくば洋子さんのような聡明さがこれからの人生を照らしますように。

 

ノエルさんを船上で出産するとき、一番お気に入りのドレスで身支度し、ボーボワールの自伝を読んでひとり陣痛を紛らわしていたという。私もそんな理知的な出産を迎えられたらいいんだけれどと、ぼんやり想像しています。

 

 

ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄-中山康樹

仕事していたころ通勤電車で聴く音楽は、とにかく気分をあげるもの、そして飽きないよう無作為であることにチャンネルを合わせていた。iPhoneアプリの海外ラジオでTOP HIT40聞いたり、SURFミュージックで心を伸ばしたりしていた。中之島の戦士にはそういうのがぴったりだったのだ。

 

妊娠してからは心をなぐさめる音楽を求めるようになり、ビル・エヴァンスの愛らしいワルツ・フォー・デビイが何より気持ちに寄り添った。

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 どんな人なのかもっと知りたくなり、中山康樹さん(元スイングジャーナル編集長)が書かれた自伝的なものを読んでみた。

思ったより大男であること、音楽に対してはシリアスだがおしゃべり好きでユーモアがあること、自らをかなり客観的な視点でとらえて作品を残していたことなど書かれた序章がさっそく面白く、ずっと面白かった。

1929年に生誕。まだ小さいころ、お兄ちゃんが先にピアノを習っていて、そのレッスンを見ているだけで全部弾けてしまった神童だったこと、

大学で教員免許をとるがすでにプロミュージシャンとしてギャランティを獲得していたこと、

マイルス・ディヴィスの目にとまりバンドメンバーに抜擢されるが、白人ゆえのバッシングを受けクビになること、けどカインド・オブ・ブルー制作のためだけに呼び戻され、モダンジャズの傑作を世に残すこと。

 

そして1959年、黄金期と言われるトリオの結成。ベーシスト スコット・ラファロとの、神懸かったインタープレイ

 1961年6月25日、リバーサイド4部作となるヴィレッジヴァンガードでのライブ録音。そのわずか11日後に起こった、ラファロの交通事故死、、。

関係ないけど6月25日って私の誕生日だし、ちょっと思い入れがあります。

 

そのあともトリオにこだわり、いつもメンバー集めに四苦八苦していたこと。またお金も、ドラッグに消えていくため常に逼迫していたこと。

そして1980年に訪れる死のわずか4〜5日前まで、ライブハウスのピアノにかじりつき、ドラッグによる肝硬変でむくんだ指が隠しきれていなかったことなどなど、彼の膨大なライブ出演、メンバー編成、アルバム制作などが時系列にそって読みやすく書かれてありました。

 

ジャズ界の偉人として歴史上の人物に置き換えるなら、織田信長坂本龍馬くらい伝説的かと思っていたけど、まだビル・エヴァンスが生きていた頃のアメリカ人には、いつもライブハウスで演奏している身近なピアニストの一人だったらしい。それを証拠にヴィレッジヴァンガードで録音された4部作には、ガヤガヤと話和む人々の声、グラスを傾けるカチャカチャした音が一緒に録音されており、ウェイターがテーブルにお酒を運んでいたであろう空気感が伝わってくる。ビル・エヴァンスが目の前で演奏する中くつろぐことが、観客にとってごく当たり前の光景であり、なんと豊かな時代だったのだろうか。

 

自伝を読んだところで、なぜどうしようもないヤク中の演奏に惹かれているのか理由はさっぱりわかりませんが、リリカルなビル・エヴァンスの音色は妊娠期間中のテーマソングとしていつまでも覚えていると思うのです。

立ち会い出産?

妊娠9ヶ月を迎え、そろそろどんな出産がしたいか考える時期になりました。

私の通っている病院では、入院までにバースプランを紙に書いて提出するよう言われてます。

 

妊娠したばかりのころは、マタニティブルース全開のためとにかく主人とけんかが多く、立ち会い出産することは考えられませんでした。

痛くて必死のときに、主人の面倒まで見ていられない、という気持ちになっていたからです。

 

けど一緒に生活していく上で、詰めないといけない細かいことをひとつひとつ考えて向き合っているうちに、主人もだんだん優しくなってきたので立ち会い出産もいいかな〜と思うようになってきました。

ですが私の中で引っかかるのが、立ち会い出産=感動の図式が出来上がっていないかということ。

別に感動を共有したいから立ち会いをお願いするわけではなく、一番大事にしたい気持ちは生き物として自然な出産であるかどうかです。赤ちゃんにとって、子宮からでてくる瞬間に父親が見守っている事が生物上自然であるならば、立ち会い出産をお願いしたいです。

 

ただ主人は大変に感受性が豊かなので、私が長時間痛がってたり、破水だ後産だと内蔵をバシャバシャまき散らすことに神経をすり減らしてしまうのではないかというのが気がかりです。

そうやってエネルギーを消費するより、産まれたら起こしてねくらいのノリで昼寝でもしといてもらって、産後動けないときに何かと助けてもらうほうがありがたいのかなと考えます。猫でも馬でも母親が一人で産んでいるんだし、生物のつがいとして女が動けない時に男が生活を守ることが、自然なことなのかもしれないと。

 

まだ結論はでていませんが、本人の意思を聞いてみたいと思います。

運転免許の更新

免許の更新時期が出産とだだかぶりするので、事前にやっておくことにしました。母子手帳を持っていけば、はがきが届いてなくても更新できます。ただし、次の更新が1年短くなります(>×<)

ゴールド免許なので、次回は5年後の平成33年に更新すればいいはずが、平成32年に更新対象となります。変なの、、。

しかし臨月や産後1か月に混雑したところへ行くのは怖いので、やはり行ってきました。

 

竹田からバスに揺られて20分、免許センターについたらすでに長い行列ができていました。200メートルくらいの行列をおばちゃん2人が受付しています。

この人数に対して2人って、、、と腕組みしながらじりじり進んでいましたが、はたしておばちゃんはとても愛想がよく、元気な赤ちゃんおねがいしますよ!と応援されて先に向かいました。

 

更新費用の支払いに並び、協会費への協力を断固ことわり、視力検査に並び写真撮影に並び並びしていたら、結局1時間ほど立って並んでいたのでとっても疲れました。

次の日1日寝込むくらい疲れてしまったので、あの仕組みはなんとかならないのか?!誰かネットで改善案を掲げていないか?!と調べたところ、今年の夏から京都駅前に更新センターができて、優良更新者はそっちに行けるみたいです。便利〜。

 

無事に新しい免許証をもらって、帰りは阪急長岡天神行きのバスに乗りました。純喫茶フルールでチキンカツ定食を食べて、おなかいっぱいになりましたとさ。

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私たちは繁殖しているー内田春菊

今から15年ほど前、全く妊娠と関係なかったころ妙に好きでよく読んでいた内田春菊さんのまんが。

 

数々の引っ越しで本は手放してしまいましたが、出産前にもう一度読みたいな〜と思っていたところ、

たまたま覗いたkindleストアで5円!!

 

すぐにぽちりました。腹帯しなくていいだとか、いわゆる団塊世代からのマタニティ風習をぎったぎったと打ち砕いてくださるので今読んでいても壮快です。 


さらに2巻からは、流産、子宮外妊娠、逆子、離婚に再婚、41歳での第4子妊娠、妊婦のホルモンバランスと貧血などといろいろありすぎて、妊娠についてものすごく勉強になります。

 

松坂牛しゃぶしゃぶ

こないだ志摩から帰るとき、義祖父が牛肉を持って帰らせてくれました。

近鉄鵜方駅近く、長太屋さんのお肉です。

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しゃぶしゃぶ用に500グラムカットしてもらって、、

\ばばーん/

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夫婦二人で、野菜をはさむ間もなく、一心不乱に食べました。
後で白菜や豆腐を茹でながら、あんなにがつがつ食べて肉に悪いことしたかな、、と反省し合う食べっぷりでした。

相談は踊るの最終回

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TBSラジオで土曜夜19時から放送されていた、「ジェーン・スー 相談は踊る」が最終回を迎えた。

キリンジのテーマソングも最高だったし、未婚のプロとして101個もプロポーズされない理由を書籍化するスーさんの回答は早く、かつ断定的に突き放すこともなくあいまいにお茶を濁す事もなく、誰の気持ちにでも寄り添える懐の広さがあって、大好きな番組でした。

MUMMY-Dさんが出たときはかっこよすぎて胸を高鳴らせたし、厚切りジェイソンとの相性の悪さにはハラハラしたし、いわゆるスクールカーストの頂点を極め続けたエリートアナウンサーは、悩める庶民へ的外れな回答を放つときがあるなど毎週さまざまな人間模様を繰り広げてくださいました。

あまりに重い相談も寄せられる中、ひとつひとつ解決案に向き合われ、スーさんのお体に触ることがないかと心配することもありましたが、最終回の2日後、11日月曜からTBSラジオ昼11時の帯番組を担当されるとあり、ほんとにほんとに嬉しい気持ちになりました。

スーさんの実力なら、TBSラジオの看板そのものという役割も当然の結果と大納得でありますが、全然関係ないところでこの栄転を私自身の心の中に重ねてみれば、これはいつか報われる事があるのかと過去つらい思いをした仕事のかずかずに光があたったような気分になりました。まじめにやっていればいつか必ずいいことがある、、。だがそのためには、ルールもある。番組の中でスーさんはとっさに、そんなルールをたくさん教えてくれました。

相談は踊るの最終回も会社の退職日みたいに、花が渡されたり色紙が渡されたり、サプライズでスーさんを泣かせるような恐ろしいセレモニーがあるんだろうかと注意深く聴いてましたが、番組終了2分前まで相談に乗り、いつも通りあっさりと終わっていった番組にスーさんの仕事人間らしさを感じてますます好きになりました。

最後の相談も印象的でした。他人の幸せを喜べません。どうしたらいいですか?→自尊心を高めるしかない。自尊心を高めるには他人の評価が必要なこともあるが、まずは目の前のことにひとつひとつ向き合っていくしかありませんよ、ですって。