ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄-中山康樹
仕事していたころ通勤電車で聴く音楽は、とにかく気分をあげるもの、そして飽きないよう無作為であることにチャンネルを合わせていた。iPhoneアプリの海外ラジオでTOP HIT40聞いたり、SURFミュージックで心を伸ばしたりしていた。中之島の戦士にはそういうのがぴったりだったのだ。
妊娠してからは心をなぐさめる音楽を求めるようになり、ビル・エヴァンスの愛らしいワルツ・フォー・デビイが何より気持ちに寄り添った。
どんな人なのかもっと知りたくなり、中山康樹さん(元スイングジャーナル編集長)が書かれた自伝的なものを読んでみた。
思ったより大男であること、音楽に対してはシリアスだがおしゃべり好きでユーモアがあること、自らをかなり客観的な視点でとらえて作品を残していたことなど書かれた序章がさっそく面白く、ずっと面白かった。
1929年に生誕。まだ小さいころ、お兄ちゃんが先にピアノを習っていて、そのレッスンを見ているだけで全部弾けてしまった神童だったこと、
大学で教員免許をとるがすでにプロミュージシャンとしてギャランティを獲得していたこと、
マイルス・ディヴィスの目にとまりバンドメンバーに抜擢されるが、白人ゆえのバッシングを受けクビになること、けどカインド・オブ・ブルー制作のためだけに呼び戻され、モダンジャズの傑作を世に残すこと。
そして1959年、黄金期と言われるトリオの結成。ベーシスト スコット・ラファロとの、神懸かったインタープレイ。
1961年6月25日、リバーサイド4部作となるヴィレッジヴァンガードでのライブ録音。そのわずか11日後に起こった、ラファロの交通事故死、、。
関係ないけど6月25日って私の誕生日だし、ちょっと思い入れがあります。
そのあともトリオにこだわり、いつもメンバー集めに四苦八苦していたこと。またお金も、ドラッグに消えていくため常に逼迫していたこと。
そして1980年に訪れる死のわずか4〜5日前まで、ライブハウスのピアノにかじりつき、ドラッグによる肝硬変でむくんだ指が隠しきれていなかったことなどなど、彼の膨大なライブ出演、メンバー編成、アルバム制作などが時系列にそって読みやすく書かれてありました。
ジャズ界の偉人として歴史上の人物に置き換えるなら、織田信長か坂本龍馬くらい伝説的かと思っていたけど、まだビル・エヴァンスが生きていた頃のアメリカ人には、いつもライブハウスで演奏している身近なピアニストの一人だったらしい。それを証拠にヴィレッジヴァンガードで録音された4部作には、ガヤガヤと話和む人々の声、グラスを傾けるカチャカチャした音が一緒に録音されており、ウェイターがテーブルにお酒を運んでいたであろう空気感が伝わってくる。ビル・エヴァンスが目の前で演奏する中くつろぐことが、観客にとってごく当たり前の光景であり、なんと豊かな時代だったのだろうか。
自伝を読んだところで、なぜどうしようもないヤク中の演奏に惹かれているのか理由はさっぱりわかりませんが、リリカルなビル・エヴァンスの音色は妊娠期間中のテーマソングとしていつまでも覚えていると思うのです。